九十銭だったか、三つぶんで三十銭だったか、今どうも記憶に残らぬ。外へでたら煉瓦塀にもたれてフーセンアメ屋がいたから、それを買って路傍の餓鬼共にオゴッてやり、僕もシャブリ乍ら家へ帰った。
結局、最後に、外国語を勉強することによって神経衰弱を退治した。目的をきめ目的のために寧日なくかかりきり、意識の分裂、妄想を最小限に封じることが第一、ねむくなるまででも辞書をオモチャに戦争継続、十時間辞書をひいても健康人の一時間ぐらいしか能率はあがらぬけれども、二六時中、目の覚めている限り徹頭徹尾辞書をひくに限る。梵語、パーリ語、チベット語、フランス語、ラテン語、之だけ一緒に習った。おかげで病気は退治したが、習った言葉はみんな忘れた。
どうやら病気の治りかけた一日、千葉の方へ辰夫を訪ねた。辰夫は出張で不在だったが、あの母がヒステリイの翳みじんもなく現れて、神への如き感謝の言葉をのべるのをきき、僕はもう少しで病気をブリ返すところであった。母親というものはまことに魔物であり曲者だ。人相別人の如く変り、武士の母の如くであった。母親だけはとにかく信ずるに価する、とそのとき悟ったが、然し之にすら、例外はある筈で
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