走らなければならなかったが、之も練習と心得ているのか文句を言ったことはない。僕のウバ、もう腰のまがった老婆がついてきて炊事をしていてくれたのだが、僕のウバだから、僕のヒイキで、あんまり兄貴を大事にしない。尤も兄貴は若干婆やに弱味のシッポをつかまれており、ウチからの送金を持ちだし、時々僕のコヅカイも失敬する。僕は悟りをひらこうとして大いに忙しい時だからコヅカイなどは一文もいらず失敬されても平気であったし、第一失敬されたことは五六年あとに気がついたので、その頃は知らなかった。婆やは兄貴に不平満々、尤も僕は悟りに没頭忙しいから、婆やのグチなど相手にならぬ。クニの者が上京すると婆やは終日兄貴の不平を訴える。僕への不平はついぞ洩したことのない婆やであったが、板橋の中丸の引越しには、遂に終生ただ一度の不平を僕の母に洩したという。つまり、人家のある所まで二三十分かかるので御用聞きが来てくれないから、どうしても買い物に行かねばならぬ。もう腰の曲った婆やにはこの道中が骨身にこたえる難儀であった。然しこの不平を洩したのは、愈※[#二の字点、1−2−22]この家も引越しという時のことで、早く僕に言ってくれれ
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