五勺に芋がまじっても、暴動も起さない。われわれすべてが、殉国者である。
 残虐無慙な拷問に堪え、嬉々として命をさゝげた魂が、三合の配給で神をうらぎったという。拷問のかずかずとその殉教のはげしさ、その歴史的断片だけをきりはなすと、われわれのぐうたらな生身のからだは手がとゞかなくなるのだけれども、実は彼らにも、やっぱり、ぐうたらな生身のからだがあったのである。
 そしてわれわれの世代には、信教のためではなく、祖国のために、何百万かの人々が死んだ。彼らは必ずしも嬉々としては死ななかったに相違ない。あるものは大いに祖国を呪いながら死んだかも知れぬ。それはおそらく切支丹の殉教の際も同様であったに相違ない。なかには神を呪いつゝ死んだものもありえたはずだ。そして彼らがもし生き残れば、復員してヤミ屋となったり、泥坊になったかも知れず、それが切支丹の場合であっても同様に棄教してなにものになったかわからない。
 三合の空腹に神を売った何百人かも、もし食物に困らなければ、拷問に死んで殉教者となったかも知れぬ。しかし、われわれが、現に二合一勺のそのまた欠配つゞきでも祖国をうらぎっておらぬことだけはまちがいがな
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