ないものだ。歴史の人物は歴史のうえで、歴史的にしか生活していないが、現実の人間というものは、主として夫婦喧嘩だの、三角くじの残念無念だの、酔っぱらって怪我をしたのと、あさましいことばかりで、二合一勺のそのまた欠配つゞきでも祖国を売らなかった歴史的美談のごときは、みずから意志した気魄のあらわれではなかった。彼らは配給の行列で配給係のインチキを呪ったり、ときには大いに政府の無能を痛罵して拍手カッサイしている自分の方を自分だとおもっており、カイビャク以来の大奇怪事を黙認して、二合一勺のそのまた欠配だの、焼けだされの無一物に暴動も起さぬ自分を自覚してはいない。そしてかゝる無自覚な面が歴史的に復活しておもいもよらないカイビャク以来の愛国者になるであろうということなどは、もとより夢にもおもわない。
現実はかくのごとく不安定ではあるが、また、不逞にして、ぐうたらで、健康なものだ。歴史は病的なものであり、畸形で、歪められているのである。すなわち、歴史的事実だけで独立して存し、特殊な評価を強いている。
それは歴史のみのカラクリではなく、現実もまた歴史化することが可能だ。軍神などゝいうものをデッチあげ
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