宿命の子供であったから、それで二合一勺ぐらいの配給に不足もいわず、芋だの豆の差引だの、欠配だの、そういうことに不平や呪いがあるにしても、同時にあきらめていたのである。不平や呪いは自我のこえであるが、自我はすでに影であり、宿命の子供が各人ごとの心に誕生して、その別人が思考し、生活していたからであった。

          ★

 戦争は終った。しかし、戦争の宿命の子供はまだわれわれの自我と二重の生活をしており、主としてわれわれはまだ今日も宿命の子供で、ほんとうの自我ではないらしい。それは当然の話で、われわれの周囲は焼け野原であり、交通機関はヨタヨタし、要するに、バクダンはなくなったが、まだわれわれはまったく戦争の荒廃の様相のなかにいるからだ。われわれはあきらめているのだ。いな、われわれ自身が考えるさきに、われわれの心のなかで、別人があきらめてしまっている。戦争に負けた。ない袖はふれぬ。二合五勺の、それに芋がまじっても、しかたがない、と。
 戦争中そうであったごとく、われわれは今もなお、自我よりもむしろ宿命の子供であり、祖国の悲劇的な宿命にみずから殉じているのである。だからわれわれは二合五勺に芋がまじっても、暴動も起さない。われわれすべてが、殉国者である。
 残虐無慙な拷問に堪え、嬉々として命をさゝげた魂が、三合の配給で神をうらぎったという。拷問のかずかずとその殉教のはげしさ、その歴史的断片だけをきりはなすと、われわれのぐうたらな生身のからだは手がとゞかなくなるのだけれども、実は彼らにも、やっぱり、ぐうたらな生身のからだがあったのである。
 そしてわれわれの世代には、信教のためではなく、祖国のために、何百万かの人々が死んだ。彼らは必ずしも嬉々としては死ななかったに相違ない。あるものは大いに祖国を呪いながら死んだかも知れぬ。それはおそらく切支丹の殉教の際も同様であったに相違ない。なかには神を呪いつゝ死んだものもありえたはずだ。そして彼らがもし生き残れば、復員してヤミ屋となったり、泥坊になったかも知れず、それが切支丹の場合であっても同様に棄教してなにものになったかわからない。
 三合の空腹に神を売った何百人かも、もし食物に困らなければ、拷問に死んで殉教者となったかも知れぬ。しかし、われわれが、現に二合一勺のそのまた欠配つゞきでも祖国をうらぎっておらぬことだけはまちがいがな
前へ 次へ
全9ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング