ゐないよ」友達は退屈しきつた顔付で語るのも物憂さうに背延びをしました。「君の見たのは、仏像だよ。会ひたけりや食事のあとで案内するが……」
私は思はず笑ひだしてしまつてゐました。
「仏像かね。俺はまた虎かと思つた」
しかし友達は私の浮いた心持にはとりあはず、にこりともせず夕陽を視凝めてゐるのでした。
食事のあと、友達は手燭《てしよく》をともして現れました。「物置には燈《あかり》がないのだ」渡り廊下を通るとき、海風が、酔ひにほてつた私の顔を叩いてゐました。
仏像は物置の奥手に、埃のいつぱい積つた長持に、凭れるやうにして立つてゐました。木彫の地蔵でした。
私はかつてこのやうな地蔵を、鎌倉の国宝館と京都の博物館でのみ見た覚えがあります。これも恐らく鎌倉時代の作でせう。なんとまた女性的な、むしろ現実の女体には恐らく決して有りうべくもない情感と秘密に富んだ肢体でせうか。現実の快楽《けらく》を禁じられた人々の脳裡には、妄想の翼によつて、妄想のみが達しうる特殊な現実が宿ります。その現実を夢とよぶ人もあるのでした。そしてそれらの人々の脳裡に宿つた現実に比べたなら、地上の快楽はなんとまた貧しく、
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