黒街の謎の女親分ミス南京」
「本当か」
 ミゾオチの痛みも吹ッとび、波川はいそいで服を着た。
 そのころ、東京横浜を中心に、大口の南京虫の密売者が現れた。これが凄いような絶世の美女だ。秘密に指定した場所へいずこからともなく現れて、無造作に大量の南京虫をバッグから取りだし、金とひきかえて、消え去ってしまう。その身辺には二人の護衛の若者がついていて、取引の終るまでピストルに指をかけて見張っている。麻薬を扱うこともある。どこの何者とも分らないが、仲間の間ではミス南京とよばれている。当局はようやくスパイをいれることに成功して、ミス南京の存在までは突きとめたが、密輸のルートはおろか、ミス南京の住居も名も分らないのだ。
 ところが殺された奈々子の屍体のかたわらから、ミス南京の謎を解いてくれるらしい多くの重大な物が現れたのである。
 奈々子は腕に麻薬を注射して殺されていた。和服姿で、すこしも取り乱したところなく、眠るように安らかに死んでいる。盗品がなければ、むしろ自殺と考えられるような死に方であった。
 ところが、奈々子の屍体を調べた警察医はビックリして思わず声を発したほどだ。奈々子の腕といわず股といわず無数の注射の跡で肉が堅くなっているのだ。麻薬の常習者であった。押入の中からは、それを証拠立てるモルヒネのアンプルが多数現れた。
 たぶん二人の犯人は、奈々子に麻薬を注射してやると云って、より強烈なものを注射したのだろうと考えられた。しかし、波川巡査はそれを疑った。
「なるほど奈々子は二人の男を内輪の者だと云いはしたが、玄関で睨み合って口論していた見幕では、とても男に注射をさせたり、男の目の前で自身注射することすらも、ちょッと考えることができないなア」
 ところが、奈々子の小さな家から発見されたいろいろの物品は、甚しく意外で、また重大な事実を物語るものであった。
 押入の中に、外国製の果汁のカンヅメがいくつもあった。その空カンも一ツあった。ところが、その空カンには果汁が入っていたらしいような痕跡や匂いが残っていない。
 そのカンヅメをたくさん入れて送ってきたらしい大きなブリキカンがあるが、押入の中から出てきたカンヅメの数はその三分の一にも足らないぐらいだ。そして、不足分のカンヅメは奈々子の家から発見することができなかったのである。
 もっと意外なことは、そのカンヅメ荷物の包み紙らしいものが現れたが、それは香港から羽田着の飛行便で奈々子宛に送られたことを語っていた。そしてたしかに香港から発送された証拠には、それを包むに用いたらしい香港発行の新聞紙がたくさん押入の奥に押しこまれていたのであった。
 さらに意外なことがあった。机のヒキダシの中や、ハリ箱の中や、筆入れの中からまで、無造作に合計五十三個という南京虫腕時計が現れたのだ。
 屍体のかたわらに奈々子のハンドバッグがひッかきまわされて捨てられていたが、その中にもひッかきもらした南京虫が一ツ残っていた。たぶん犯人はハンドバッグの中にあった南京虫だけ盗み取って行ったらしい。
「すると比留目奈々子がミス南京だったのか。なるほど、死顔ですらも、思わず身ぶるいが走って抱きつきたくなるような美人だねえ」
「香港から飛行機で送られてくるカンヅメのうち約三分の一が本物の果汁で、他の三分の二が南京虫というわけか」
「犯人がボストンバッグをぶらさげてきた謎が、それで解けるわけだな」
 そこで羽田の税関はじめ関係局の配達夫等にまで調査をすすめてみると、この荷物が奈々子のもとへ送られてきたのは当日の午前中のことだ。ところが、それ以前にも、約四ヵ月前から合計五度にわたって同じような荷物が香港から届いているのが分った。
 しかし、波川巡査はまだなんとなく解せないことがあった。
「自分が思わず立ち止ったとき、奈々子の叫んだ言葉というのは、こうなんです。小包……そんなもの知らないわよ……脅迫するのね。――ざッとこんな意味でしたよ」
「つまり犯人が南京虫の到着を知って取りに来たから、そんな小包はまだ来ていないとゴマカしたのだろう。それがそもそも奈々子の殺された原因さ」
 云われてみれば、ピタリとツジツマが合うようだ。けれども、波川の頭には、なぜだか証明できないが、どこかにマチガイがあるような感じがついて離れなかった。するとそのカンもまんざら捨てたものではないことをなかば証拠立てるような事が現れた。
 犯人を見たのは波川父子だけであるが、二人の印象を土台にモンタージュ写真を作った。インテリ風の眼鏡男は波川巡査一人しか見ていないから信用できかねるが、遊び人風の若者の方は二人の印象を合せていくうちに、二人そろってこの顔に甚だ似ていると断言したほどの似顔絵ができあがった。
 半年ほど前まで奈々子の旦那だったという勝又という実業家にこの
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