似顔絵を見せると、
「この男なら、奈々子のもとに出入りするのを三四度見かけました」
「相棒が一しょでしたね」
「いえ、私の見たのは、いつもこの男一人だけです」
「どういう用件で出入りしていたのですか」
「実はそれが判ったために、次第に奈々子と別れる気持になったのですが、この男は奈々子にモヒを売りこみに来ていたのです。モヒが命の綱ですから、奈々子はこの男なしには生きられない状態だったと云えましょう」
「すると、情夫ですね」
「いいえ。すくなくとも私が旦那のうちは、この男が情夫であった様子はありません。この男なしには奈々子が生きられなかったという意味は、モルヒネが奈々子の命の綱だったという意味なんです。そして私の知る限りでは、二人の関係は純粋な商取引だけのようでした」
「奈々子さんの生活費はどれぐらいかかりましたか」
「私が与えていた定額は毎月五万円、それに何やかやで七八万になったかも知れませんが、奈々子はモヒの費用のために女中も節約していたほどで、いつもピイピイしていましたね」
 この証言に至って、それまでの見込みが怪しくなってきたのである。ミス南京ともあろうものがそんなにピイピイしているはずはない。彼女がそれまでに稼いだ額はたぶん一億以上にのぼるだろうと見られているのだ。
 もっとも、ミス南京が密売線上に現れてから、まだ五ヵ月ぐらいにしかならないから、勝又と別れた後のことではあるが、今も奈々子の押入の中には果汁のカンヅメとモヒのアンプル以外に目星しい品物は何もない。美女にとっては命ともいうべき衣裳類すら何もなく、着ている和服が一チョウラのようなものであった。ピアノすら売り払ったらしく、影も形もなくなっているのだ。自分が麻薬の密売もやりながら、麻薬のために所持品を売りつくしてピイピイしているミス南京は考えられないのである。
「お父さんのカンは当ったらしいわね。この事件には表面に現れていない裏が隠されていると思うの」
 百合子にこう云われて波川はてれながら、
「オレのカンが当ったという自信もないなア。何か変だと思うことがあるだけで、何が変だか分らない始末なのだからなア」
「何が変だか、私が云ってみましょうか」
「ウム」
「陳氏の邸内へとびこんだ犯人がなぜ猛犬に襲われなかったかという謎よ。私、陳家のドーベルマンとシェパードのことを調べてみたのよ。警察犬訓練所で一年以上も訓練された飛びきり優秀犬なのよ。そのほか、室内にはボストンテリヤと、ボクサーという小型の猛犬も飼われてるのよ。知らない人はあの邸内に一歩ふみこむこともできないような怖しいところなのよ」
「庭が広いから、一隅で起ったことには、他の一隅にいる犬は気がつくまいよ」
「あるいは、そんなことかも知れないけど……」
 百合子はやがて晴れ晴れと叫んだ。
「私、とにかく、当ってみるわ。私のカンもなんだか正体がつかめないのだけど、でも、うっちゃっておけないような気持があるのよ。これから陳邸へ乗りこんでみるの」
 どうやら百合子の顔の腫れもひいて、娘々した可愛いい昔の顔にかえっていた。

[#5字下げ]美女と佳人[#「美女と佳人」は中見出し]

 百合子は娘らしい普通の洋装で行ったけれども、婦警の身分は隠さなかった。
「先夜、この邸内へ逃げこんで行方不明になったある事件の容疑者のことで、助言していただけたらとお伺いしたんですけど、御主人に会わせていただきたいのですが」
「御主人は商用で台湾へ御流行中さ」
「代理のお方は?」
「お嬢さまがいらっしゃるけど、会って下さるかどうか」
「ほかに御家族はいらっしゃらないんですか」
「奥さまも居ないし、男の御子様もいないよ。オスは今のところ犬だけさ」
「お嬢さまにぜひ会って下さるようにお願いしてちょうだいな」
「巡査なんていけ好かないが、まア、女だから、取り次いでやろう」
 ところが意外にカンタンにお許しがでて、邸内へ通された。この家も戦災で焼けたのを、陳氏が地所をかりて小ザッパリした洋館をたてたものだ。室数は十室ぐらいで、庭にくらべてそう大きな家ではなかった。
 広間へ通された百合子は、現れた陳令嬢の美しさに、思わず息をのんでしまった。自然にポッとあからんで、あまり上手ではない英語をギクシャクとあやつりながら、
「突然、恐れ入ります。私、婦警の……」
 と云いかけると、令嬢はニコニコして、
「日本語で仰有《おっしゃ》い。私、日本人と同じぐらい日本語が上手よ。日本で育ったから。あなた、本当に、女のお巡りさん?」
「ええ、そうです」
「まア、可愛いいお巡りさんだこと。男の犯人をつかまえたことあって?」
「いいえ、まだですけど」
「猛犬がうろついてる中国人の邸内へ一人でくるの心配だったでしょう」
「ええ。ですから、お嬢さまにお目にかかって、目がくらんでし
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