街の方へでる。
世田谷で電車を降りて渋谷区まで歩いて帰宅する勤人というのは変だ。この辺へ帰宅するには他の停留所で降りなければならない。波川父娘はシマッタと顔見合せて、
「さとられたかも知れないな。しかし、奴らも電車を利用せずにこれだけ歩くというのはクサいぞ。奴らは急に二手に分れて走りだすかも知れないから、そのときはボストンバッグの奴の方を執念深く追うことにしよう」
「ピストル持ってきた?」
「持ってる」
いよいよ丘の大邸宅地域にかかった。一ツの邸宅が広さ何千坪、中には一万坪を越すような大邸宅もある。高い石塀がエンエンと曲りくねってつづき、昼でも人通りがほとんどなくて淋しいところ。石塀と庭の樹木は昔さながらの姿であるが、石塀の中の邸宅は焼けて跡形もないのが多い。
二人の男は石坂に沿うて曲った。とたんにドンと地響きがした。
「それ!」
巡査親子は夢中で走った。我ながらヘタクソな追跡ぶりに気がひけて、間隔がいくらか遠ざかっていたので、どこまでも運がわるかった。ようやく曲り角へでると、今しも遊び人風の男がインテリ風の男を肩にのせて、高い塀の上へ押し上げたところだった。親子がそれを認めたとたんに、インテリ風の男は塀の内側へ姿を消してしまったのである。
波川巡査はオーバーの下からピストルをとって、
「手をあげろ。警察の者だ」
残った男は逃げる様子もなく、まるで何事もなかったように手をあげて、
「なんですか? 怪しい者じゃないですよ」
「ボストンバッグはどうした?」
「そんなもの持ってやしません」
最初にドンと地響がしたのは石塀の内側へボストンバッグを投げこんだ音だ。波川巡査はそれに気がついて、さてこの男を捕えるべきや、石塀の中へとびこんで逃げた男を追うべきや、と思わず高い石塀を見上げた。それが運のつき。
いきなり腕をうたれて火のでる痛みをうけたとたん、手のピストルも火を吐いて地上へ落ちる。とたんにミゾオチを一撃されてひッくり返った。と同時に、百合子も顔を一撃されて地上にすッとんだ。
百合子は痛さをこらえて逃げ去る足音の方を目で追った。男は石塀の反対側の小路へいきなり曲りこんで消えてしまった。
それから二分ほどの後、ピストルの音で駈けつけたパトロールの巡査が百合子と父を助け起してくれた。事情をきいたパトロールは、
「そうですか。それじゃア、この塀の中の男を探した方が早道ですね。そう云えば、この邸内にはドーベルマンとシェパードの凄いのがいますよ。あの犬が庭に放されている限り、その男は半殺しの目にあいますぜ。そんな物音はききませんでしたか」
ところがピストルが火を吐いて地上に落ちてからというもの、近所の犬がそろってウォーウォー吠えだした。吠えられてみると、四隣遠近犬だらけ。特に一ツの犬の声に注意のできない状態であった。
「まだ八時だから、たのんで邸内を調べさせてもらいましょう。陳という中華人の家ですから、ちょッとうるさいかも知れませんがね」
表門へまわって案内を乞う。門番の小屋があって、中年の日本人の下婢が顔をだした。奥の本邸とレンラクの後、案外カンタンに庭内の捜査を許してくれたが、なるほど入口には物凄いドーベルマンとシェパードがいて、一足はいると跳びかかる構えで睨んでいる。
「その犬をつないでくれませんか」
「ええ、いま、つなぎますよ」
「ずッと放しておいたんですか」
「ええ、そう。日が暮れると、毎晩放しておくんですよ」
「すると、奴さん、やられてるな」
ところが、庭をくまなく捜したけれども、男の姿はどこにも見えない。犬と格闘した跡もない。塀をとび降りた場所にいくらか乱れが目につくだけだ。
「オヤ、なんでしょうね」
懐中電燈で執念深く捜しまわっていた百合子は、男がとび降りた地点の木の根に、小さな光るものを見つけて取りあげた。
「金の腕時計だわ。婦人用の南京虫。男が南京虫を腕にまくかしら?」
奇妙な謎の拾い物であった。
[#5字下げ]殺されていた奈々子[#「殺されていた奈々子」は中見出し]
翌日、非番の波川巡査はミゾオチを打たれた痛みもあって、午すぎも寝ていた。すると、飛ぶように戻ってきた百合子に叩き起された。
「大変よ。比留目奈々子が殺されたのよ。殺されたのは昨夜です。あの二人が犯人よ」
波川は痛みも忘れて跳び起きた。
百合子も下アゴを打たれて唇をきり、アゴが腫れて、美人婦警も惨たる面相。人に顔を見せたくないから休みたかったが、昨夜の報告があるので、署へでてみると、奈々子殺し発見の騒ぎである。
「犯人の顔を見たのはお父さんだけですから、すぐ来て下さいッて」
「あの二人が犯人ときまってるのか」
「確証があるらしいわ。ほかに、いろいろ重大なことが判ったらしいの。殺された奈々子は意外の大物らしいんですって。暗
前へ
次へ
全7ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング