如き慟哭だつた。一生の希望が終つたやうだつた。何ものに取りすがつて彼は泣けばよいのだか、取りすがるべき何ものもなかつた。無とは何か。失ふことか。彼はすべてを失つた。
人々が彼の即位をもとめることを、彼は信じて疑はなかつた。この偉大なる人、高雅なる人、可憐なる人、凛冽たる魂の気品の人の姿がなしに、内裏の虚空に坐したところで、何ものであらうか。彼の心は天皇の虚器を微塵ももとめてゐなかつた。彼は内裏に戻らなかつた。政朝に坐らなかつた。人々の顔も見たくはなかつた。彼等の言葉のはしくれも、耳に入れるに堪へ得なかつた。
彼は女帝の陵下に庵をむすび、雨の日も、嵐の夜も、日夜坐して去らず、女帝の冥福を祈りつゞけた。
百川の待ちのぞんだ機会はきた。然し、はりあひ抜けがした。あまりだらしがなく、馬鹿げきつてゐるからだ。当の目当の人物は陵下に庵を結び、浮世を忘れて日ねもす夜もすがら読経に明け暮れてゐるからだ。
然し、百川は暗躍した。彼は暗躍することのみが生き甲斐だつた。
右大臣吉備真備は天武天皇の孫、大納言|文屋浄三《ふんやのきよみ》を立てようとした。然し浄三はすでに臣籍に下つた故にと固辞するので
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