の再生を希ふことは人間本来の意志であるが、その仏教に対する信仰の結果とは云へ、自ら意志して、肉体を焼き無に帰すことを求めるのは凡人の為し得るところではない。持統天皇は天智天皇の娘であるが、その夫大海人皇子(天武)が天智天皇に厭はれて吉野に流浪のときも従属してをり、その強烈沈静な性格は知り得るであらう。
 皇孫珂瑠は譲を受けて即位し文武天皇となる。このときの詔《みことのり》に
「現御神《アキツミカミ》と大八島国|所知《シラス》天皇が大命《おおみこと》らまと詔《の》りたまふ大命を集侍《うごなわ》れる皇子等王臣百官人等天下公民|諸《もろもろ》聞食《きこしめ》さへと詔る」(下略)と。
 自らを現御神と名のり、大八島しらす天皇と名のる、この堂々の宣言を読者諸氏は何物と見られるであらうか。私はこれを女と見る。女の意志を見るのである。
 私は一人の強烈沈静なる女の意志を考へる。その女は一人の孫の成人を待つてゐた。その孫が大八島しらす天皇、現御神たる成人の日を夢みてゐた。その家づきの宿命の虫の如き執拗さをもつて、夢み、祈り、そして、育てゝゐたのだ。人はすべて子孫の繁栄を祈るものであるかも知れぬが、別して女は、別して強烈沈静なる女は、現実的、肉体的な繁栄や威風をもとめてやまないものである。北条政子と同じ意志がこゝにある。そして、政子の如く苦難に面してゐなかつた。順風に追はれてゐた。
 我々がこゝに見出すのは、政府ではなく、家であり、そして、家の意志である。

          ★

 文武天皇は二十五で夭折した。皇子|首《オビト》は幼少であつたから、その生長をまつまで、文武天皇の母(草壁皇子の妃)が帝位についた。元明天皇である。天智天皇の娘であり、持統天皇の妹であつた。
 つゞいて元正天皇に譲位した。首皇子が尚成人に至らなかつたからである。元正天皇は元明天皇の長女であり、文武天皇の姉であり、首皇子の伯母であつた。
 かうして祖母と伯母二代の女帝によつて現人神《あらひとがみ》としての成人を希はれ祈られ待たれた首皇子は後の聖武天皇であつた。
 女帝達の意志のうちに、日本の政治、日本の支配、いはゞ天皇家の勢力は遅滞なく進行してゐた。大宝、養老の律令がでた。風土記も、古事記も、書紀もあまれた。奈良の遷都も行はれた。貨幣も鋳造された。
 然し、女帝達の意志と気力と才気の裏に、更に一人の女性の
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