てしまふ、されてしまふ、と。その安心の油断のみが、百川の最後に乗じうる隙だつた。
百川は道鏡にとりいつた。全ての藤原貴族達も、おもねつた。否、あらゆる人々がさうだつた。
道鏡の故郷は河内の弓削だつた。百川はことさら道鏡に懇願して、その栄誉ある法王の生国河内の国守に任命してもらつた。
道鏡は天皇にすゝめ、生地の弓削に由義宮《ユゲノミヤ》を起し、西京とした。河内国は昇格し、河内職をおかれた。百川もこれに伴ふて昇格し、河内職の太夫になつた。
女帝も由義宮へ行幸した。歌垣が催された。するとこの地の長官たる百川は、それが彼の最大の義務であるやうに、自ら進んで、倭舞《やまとまい》を披露した。舞の手はさして巧くはなかつたが、その神妙さ。一手ごとに真心をこめ、全心の注意をあつめ、せめてはその至情によつて高貴なる人々の興趣にいくらかでも添ひたいといふ赤心が溢れて見えるのであつた。
道鏡は満足した。そして百川の赤心を信じこんで疑ることを知らなかつた。
★
女帝は崩御した。宝算五十三。
道鏡の悲歎は無慙であつた。葛木山中の岩窟に苦業をむすんだ修練の翳もあらばこそ。外道の如き慟哭だつた。一生の希望が終つたやうだつた。何ものに取りすがつて彼は泣けばよいのだか、取りすがるべき何ものもなかつた。無とは何か。失ふことか。彼はすべてを失つた。
人々が彼の即位をもとめることを、彼は信じて疑はなかつた。この偉大なる人、高雅なる人、可憐なる人、凛冽たる魂の気品の人の姿がなしに、内裏の虚空に坐したところで、何ものであらうか。彼の心は天皇の虚器を微塵ももとめてゐなかつた。彼は内裏に戻らなかつた。政朝に坐らなかつた。人々の顔も見たくはなかつた。彼等の言葉のはしくれも、耳に入れるに堪へ得なかつた。
彼は女帝の陵下に庵をむすび、雨の日も、嵐の夜も、日夜坐して去らず、女帝の冥福を祈りつゞけた。
百川の待ちのぞんだ機会はきた。然し、はりあひ抜けがした。あまりだらしがなく、馬鹿げきつてゐるからだ。当の目当の人物は陵下に庵を結び、浮世を忘れて日ねもす夜もすがら読経に明け暮れてゐるからだ。
然し、百川は暗躍した。彼は暗躍することのみが生き甲斐だつた。
右大臣吉備真備は天武天皇の孫、大納言|文屋浄三《ふんやのきよみ》を立てようとした。然し浄三はすでに臣籍に下つた故にと固辞するので
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