がこみあげてきた。この単純な魂を、この高貴な魂を、なぜそなたらは、あざむき、辱しめ、苦しめるのか。女帝の顔はにはかに変つた。清麻呂をはつたと睨みすくめてゐた。
 すでに清麻呂は面を伏せて控えてゐたので、女帝の怒りの眼差は気付かなかつた。然し、百川はそれを見た。彼の胸に顛倒した叫びが起つた。シマッタ! と。
 然し、そのとき天皇はすつくと立つて、すでに姿が消えてゐた。

          ★

 清麻呂は芝居をやりすぎた。あまり正直に生の感情をむきだしたことによつて。あまりに嘘がなかつたゝめに。彼は正直でありすぎた。すでにカラクリの骨組は女帝に看破せられたことを百川は悟らずにゐられなかつた。
 寸刻の猶予もできなかつた。たゞちに清麻呂に因果をふくめ、神教偽作のカラクリ全部を一身に負ふ手筈をきめる。直ちに百川は上奏して、清麻呂はすでに神教偽作の罪状を告白したと告げた。さもなければ、カラクリの全部がばれるから。
 清麻呂は官をとかれ、別部穢麻呂《わけべのきたなまろ》と改められて、大隅《おおすみ》国へ流された。
 百川の秘策は完全な失敗だつた。この事件により、女帝の道鏡によせる寵愛と信任は至高のものに深まつた。道鏡は唯一無二のものだつた。それは、然し、すでに昔から、さうだつた。女帝は堅く決意した。道鏡はわが後継者、皇太子、次代の天子、といふことだ。世の思惑は物の数ではなかつた。祖宗の神霊も怖れなかつた。
 のみならず、世上の風説も、この事件の結末から、道鏡は天皇でありうるといふ結論になり、やがて、次代の天皇は道鏡だといふ取沙汰があつた。未だに立太子の行はれぬことが、この風説を疑はれぬものに思はせた。そして、人々は確信した。やがて道鏡は天皇である、と。
 百川は再び啓示をつかんでゐた。女帝のこの絶対の信任のある限り、女帝の存命中は道鏡を失脚せしめる見込みはなかつた。女帝の死後。それあるのみ。
 百川は、道鏡天皇説の流行を逆用する手段を見出してゐた。道鏡は愚直であり、信じ易い性癖だつた。道鏡天皇説を益々流行せしめるのだ。庶民達がそれを真に受けて疑ることがないぐらゐ。そして、道鏡に思ひこませてしまふのだ。必ず天皇になりうる、と。殿上人《てんじようびと》も地下《じげ》も庶民も、全てがそれを希んでゐる、と。そして彼は安心しきつてゐる。信じきつてゐる。人々の総意により自然に天皇になつ
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