、その弟の大市《おおち》をたて、宣命も作られ、輿論《よろん》も概ね決してゐた。
然し、百川は動かなかつた。彼は自ら筋書を書くのでなければ承服し得ない人間だつた。彼は白壁《しらかべ》王を立て、左大臣永手、兄の参議良継と謀議して、宣命使をかたらひ、大市を立てる宣命に代へて、白壁王を立てる旨を宣《の》らせ、先帝の御遺詔であると勝手な文句をつけたさせた。
そして白壁王が即位した。時に新帝の宝算六十二。百川は、時にやうやく、三十九。
浮世の風、すべてこれらのイキサツを、道鏡はわれ関せず、庵の中で日ねもす夜もすがら、彼はまつたく知らなかつた。
そして彼の耳もとに吹きつけてきた浮世の風の一の知らせは、彼が天皇に即くことではなく、死一等を減じ、造下野《みやつこしもつけ》薬師寺別当に貶せられ、即日発遣せしめる、といふ通告だつた。
下野薬師寺は奈良の東大寺、筑紫の観音寺と共に天下の三戒壇、鑑真の開基で、日本有数の名刹だつた。この名刹の別当は、流刑といふには当らない。彼は多分、煙たがられてゐたにしても、さして憎まれてはゐなかつたのだ。たゞ枢機から遠ざけたいといふことだけが、人々の同じ思ひであつたのだらう。
陵下を離れる思ひのほかに、彼を苦しめる思ひはなかつた。すべては、すでに、終つてゐた。棄つべきものは何もなかつた。雲を見れば雲が、山を仰げば山が、胸にしみた。
然し、彼は、凛烈たる一つの気品を胸にいだいて放さなかつた。それは如何なる仏像よりも、何物よりも、尊かつた。それをいだいて、彼は命の終る日を、無為に待てば、それでよかつた。
底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「改造 第二八巻第一号」
1947(昭和22)年1月1日発行
初出:「改造 第二八巻第一号」
1947(昭和22)年1月1日発行
入力:tatsuki
校正:岩澤秀紀
2008年2月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全24ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング