つ者は朕なり。天下の勢をたもつ者も朕なり」と勅した天皇は、その鋳造を終つて東大寺に行幸し、皇后と共に並んで北面の像に向ひ、凛々と大仏に相対し、橘諸兄に告げしめて「三宝の奴《やつこ》と仕へ奉る」と、そして敬々《うやうや》しく礼拝した。人は実に自愛の果には礼拝の中に身の優越を見出すものだ。
それは二人の宿命の遊びであつた。五丈余の大仏と、それをつゝむ善美華麗、天下の富をつくした建築、諸国には国分寺が立ち、国分尼寺が立ち、それは、まさしく天下の富を傾けつくしてゐたのである。
諡号《しごう》して聖武天皇といふ。武は内乱の鎮定であるが、聖は神武の聖徳をつぎ、それにも劣らぬ天下興隆の英主としての聖の字であつた。その聖の字はたゞ宮中の内外の仏徒の口によるものであり、その聖徳も仏徒によつてたゝへられてゐるものだつた。宮中にすら国民の窮乏に思ひをよせる人はゐた。果して天下は興隆したか。然り、仏教は興隆した。奈良の都は栄えた。諸国に国分寺がたち、大仏がつくられ、東大寺は都の空に照り映えた。天皇は三宝の奴となつた。
然し、その巨大なる費用のために、諸国は疲弊のどん底に落ち、庶民は貧窮に苦しんでゐた。朝廷は怨嗟の的となり、重税をのがれるための浮浪逃亡が急速に各地に起り、おのづから荘園はふとり、国有地は衰へ、平安朝の貴族の専権、ひいては武家の勃興、朝家の没落の種はかうしてまかれてゐたのである。
然し、二人の宿命の子は、そのやうなことは振向きもしない。たゞ常に天下第一の壮大華麗な遊びだけがあるだけだつた。それは二人の意志のみではない。六朝をかけた家名の虫、女主人たちの意志だつた。沈静なる女支配人たちの綿密な心をこめた霊気の精でもあつたのである。
そして、宿命の二人に子供が生れた。娘であつた。持統天皇がその強烈沈静な思ひをこめてから六代、最後の精気が凝つてゐた。それが孝謙天皇であつた。
★
三宝の奴と仕へまつると大仏に礼拝したその年の七月、聖武天皇は愛する娘に位を譲つて上皇となつた。新女帝はそのとき三十三だつた。
この女帝ほど壮大な不具者はゐなかつた。なぜなら、彼女は天下第一の人格として、世に最も尊貴な、そして特別な現人神として育てられ、女としての心情が当然もとむべき男に就ては教へられてゐなかつたからだ。結婚に就ては教へられもせず、予想もされてゐなかつた。父
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