らない。日附もない。本文以外に、一字の奥書もないのである。
僕は始め、山田右衛門作がひそかに遺した記録ではあるまいかと、夢のやうなことを考へた程であつた。
とにかく、然し、この本は一揆に関係深く同時に教養ある人の手になるものに相違ない節々がある。
元来日本人の記録は、日時とか場所が曖昧で記述に具体性が乏しく、その点日本人には珍しい写実的な記録を残してゐる新井白石の如き人ですら、彼の「西洋紀聞」を一読して直にヨワン・シローテの死んだ年号を判ずることは難しい。シローテと長助は、長助が自首した年の翌年に死んだのだが、「西洋紀聞」の記事は自首の年に死んだやうにとられ易い曖昧な書方である。姉崎博士がシローテ死亡の年号を一年早く書かれてゐるのも「西洋紀聞」のあの文章では無理ならぬことであると頷かれる。
この点「高来郡一揆之記」は凡そ異例の精密さを持ち、僕が山田右衛門作の遺著かと夢のやうなことまで考へたといふのも、尠くともパアデレに就て西洋の学問を学んだことのある切支丹の筆かとも思はせるだけの甚しく具体性に富む記述のせゐに外ならなかつた。
一例をあげれば、一揆の発端は有馬村の村民が切支
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