あるかと問へば、長崎郊外浦上の者で、浦上村は村民すべてが三百年今尚ひそかに切支丹を奉じてゐると答へた。折から、他の見物の人がやつて来たので、彼等はつと神父の旁《かたわら》を離れ、見物人のやうな顔して彼方此方を眺めはじめた。――これが、日本に於ける切支丹復活の日であつたのである。その後、天草に、五島に、切支丹の子孫は続々と現れてきた。
この大浦の天主堂で、日本の切支丹が復活した。その建物は、今も尚、往昔のまゝ、こゝにある。彼等はどの柱に、どの祭壇に、マリヤの像を認めたか。さうして、見物の人がやつてきたとき、彼等は神父の旁をつと離れて、どの柱の下を、そ知らぬ風で歩いたであらうか。その復活の当日から、この神の子達は、宿命の疑惑を宿してゐた。禁令三百年、無数の鮮血をくゞりぬけて伝承した信仰に、悲しむべき疑ひが凍りついてゐたことも又やむを得ない。さう思へば、私の癇癪もいくらか和いでよかつた。とは言へ、何か割切れない不快が残り、釈然とはできなかつた。疑ひは神の子にあり、私は祭壇に向つてわざと呟いたが、何よりも困つたことには、さつき彼が受取らなかつたので、行先を失つた名刺が私の指にぶらさがつてゐる
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