ふ農家が殆どない。私は朝の眠りを牛の声に妨げられ、旅行のバスも屡々《しばしば》牛のために妨げられた。一概に断定はできない。
そこで、純然たる農民一揆であるかと言へば、これが又、決して、さうは断定できぬ。明らかに、切支丹の陰謀もあつた。
切支丹の陰謀は、主として、天草に行はれてゐた。小西の旧臣、天草甚兵衛を中心に、浪人どもを謀主とし、甚兵衛の子、四郎を天人に祭りあげて事を起さうといふのである。彼等はまづひとつの伝説をつくりあげて愚民の間に流布させた。それは、今から二十六年前(といへば、家康の切支丹禁令のことであらう)天草郡三津浦に居住の伴天連《ばてれん》を追放のとき、末鑑《すえかがみ》といふ一巻の書物を残して行つた。時節到来の時、取出して世に広めよ、と言ふのである。その書物によると「向年より五々の暦数に及んで日域に一人の善童出生し不習に諸道に達し顕然たるべし、然《しかる》に東西雲焼し枯木不時の花|咲《さき》諸人の頭にクルスを立《たて》海へ野山に白旗たなびき天地震動せば万民天主を尊《とうとぶ》時至るべきや」云々。丁度、源右衛門といふ村民の庭に紫藤の枯木から花が咲き、それも紫の咲くべき木
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