当るといふので、陣中の動揺限りなく、遂に脱走する者数名が現れたのである。
 二月二十二日。伊豆守は二十一日の戦争に死んだ敵兵の腹をさかしめ、腹中の物が青草の類ばかりで米食の跡のないことを見届け、総攻撃を決意した。このことは、伊豆の子供の日記にある。つまり、解剖学まで応用し、科学の粋をつくした力戦苦闘なのである。さうして、弓の矢がとゞいたのに、大砲の玉がとゞかなかつたといふ結果を残してゐるのである。

   四 忍術使ひ

 これも甲斐守輝綱の日記から。
 この戦争に、忍術使ひが登場した。二月十五日、甲賀者を城中に忍びこませたのである。忍術使ひは近江の甲賀から呼びよせたものであつた。忍術使ひは失敗した。九州の言葉が分らぬうへに、切支丹の用語や称名を全然知らなかつたからである。忽ち看破され、慌てゝ逃げた。それでも忍びこんだ印に、塀に立てた旗をぬいて担ぎだしたが、石で強《したた》か頭をどやされ、決して見事な忍術ぶりではなかつた。切支丹の用語ぐらゐは暗記してから忍びこめばいゝのに、と、往昔猿飛佐助のファンであつた私は大いに我が光輝ある忍術道のために悲しんだが、之が、さうはいかないのである。今日
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