時大砲といふものは、敵に実害を与へるよりも、その大仰な形や音響によつて、敵を畏《おそ》れしめ、戦はずして降服せしめる戦法から製作されたからである。だから、弾丸は徒《いたずら》に大きく、一丁も飛びはしなかつた。今、長崎の大波止《おおはと》に、この時用ひたといふ砲丸がある。重さ千三十二斤、玉の廻り五尺八寸。これを実際使用するには長さ九間口径三尺の筒と三千斤の火薬がいるといふが、それでも一間とは飛ばず、多分、筒の中をころ/\ところがつて、筒の口からいきなり地面へドシンと落ちるだけだといふ。
正月十日、オランダ船をつれてきて、海上から砲撃させた。この弾丸はとゞいた。この時から、幕府方は有勢になつたのである。二十八日にオランダ船は平戸へ帰つたが、大砲だけは借りうけ、石火矢台にすゑて、射撃した。とはいへ、敵に与へた損害は、決して大きくなかつたのだ。むしろ、味方たるべき紅毛人が幕府方に加担したことによつて、精神的な被害が大きかつた。さうして、砲丸よりも、旧式な一本の弓矢が、更に大きな被害を与へた。正月十六日、四郎が本丸で碁を打つてゐると、敵の矢が飛んできてその袖をぬいた。生きた神なる四郎にすら矢が
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