と友達であつたが、その人達の行動が突飛であるのも実は一流の精神が欠けてゐるからであり、東京の女はかうだと想像した上で、それに負けないつもりでやつてゐるのではないか、本当の自覚が足りないのではないか、と考へずにゐられなかつた。東京の娘達は何を模倣する必要もないのであるから、すべてに自主的な思考を持つてをり、落附《おちつき》があると思はずにゐられない。例を大学の先生にとつても、京都の先生達は常に東京を念頭に置いて考へることに馴らされ、やつぱり自主的な自覚が足りないやうに思はれた。
古い文化をもち、曾《かつ》て王朝の地であり今日も尚東京と東西相並ぶ学問の都市である京都ですら、然りである。第一流の精神の欠如、自主的な自覚の不足といふことは、地方文化の全般的な通弊であり、この一点に革命的な生気がもたらされぬ限り、地方文化が独立して発育をとげる見込みはない。東京の亜流である限り地方文化といふ独自な創造は有り得ぬのである。
然しながら、地方都市が概ね東京の亜流の精神にすぎないことに比べると、農村は都市と対蹠的なものであるために、独自な思想や独自な文化、独特な農民精神といふやうなものが在るやうな気もするのであるが、生活の形態が都市と変つてゐるからといふ理由だけでは独自な文化は現れぬ。戦争中は当時の指導者達によつて、農村の精神に還れ、などといふことが叫ばれたのであるが、それは牛馬の如く柔順に働け、美衣美食をもとめるな、といふやうな意味であり、当時の指導者達は文化の退歩をいはゞ目標としてゐたのである。事実彼等は文化を目の敵に弾圧を加へ、さればこそ農民精神に還れだの農村文化などといふ奇怪な言葉が生れたのであつて、このことは十数年前の公式的な左翼主義者が、都会の文化や伝統的な文化を直ちにブルヂョア文化と片づけ、職工達の小学校だけの教養や農村の貧しい教養をプロレタリヤ的だと云つて謳歌した反動性と同じ性質のものである。
農村の古い習俗や踊りだの唄などが古い土俗であるからと云つて、農村本来の純粋なものであるとは云へぬ。農村の習俗の多くはその排他性から生れたものであり、それが今日農村だけの特殊な行事として残つてゐるのも多くは排他性とか保守性に由来し、要するに彼等自らの歪められた教養に由来することが多いのであつて、決して農村の「あらねばならぬ」正しい姿を暗示してはゐない。
私が小学校の頃、新
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