な、これをするなオセッカイな説教屋になりがちなものだ。
 それというのが、道楽者はわが生き方として、如何に生くべきか、その地盤の上で遊んだわけではなく、低俗な感傷や、程よい風流心、享楽好きの本能や、持ち合せの財産によって遊んだのだから、男女関係を罪悪感で知っているにすぎないのである。
 道楽者の道義感は日本伝統の道義感で、処女を失うと一切の純潔を失うような、極度に肉体そのものゝ考え方しかできない。そのような肉体的な道義感に裏づけられていたから、男女の交際というとイヤでも肉体、さっそく肉体、却って親たちの歪んだ道義感が肉体的な交際をかりたてゝいたようなものだ。
 若い人たちというものは、道楽者の道義感と違って、みんな胸にともかく理想の光を宿しているものだ。若い者に全部まかしておく方が、親が変に手配するよりも却って無難なもので、悪く気を廻さぬ方がよいものだ。
 終戦後、親たちの権威や道義感が失墜し、青年たちに自律性が現われたことは喜ぶべきことで、先日ダンスホールの支配人の話に、ちかごろのダンサーは無軌道な色慾派と同時に非常に多くの処女がおり、こういうことは戦前のホールになかった現象だという
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