に進歩も向上も有り得ない。
その失敗に負けて一生が破綻してしまうような無自覚な生き方がダメなので、失敗を成功の母とし、向上のフミキリとする自覚的な生き方を持たねばならぬ。生活の向上はこのようにして行われる。
男女の交際とか恋愛とか、そのようなものは各人がその個性と生活環境に応じて行うべきもので、フヘン的な法則などは有るべきものでなく、それ故にこそ如何に生くべきかということが常に各人の問題となるのである。
日本のような貧乏国では、これから立直るにしても、決して各人が余裕ある生活などはできないだろう。その我々が生活程度の高い外国の風習をとりいれても片チンバになるのは当然で、とり入れるならその片チンバを覚悟の上で、そこから起るかも知れぬ破綻を自覚の上でやるべきだろう。
★
ダンスに罪ありと云うが、別にダンス自体に罪のある筈はない。とり入れ方が不用意のせいで要は教養が不足のせいだ。何物も禁止する必要はない。たゞ受け入れる側の用意、つまり教養、自覚内省の確立せられた足場をつくることに重点をおかねばならぬ。
昔から、道楽者に限って、子女の道楽を気にやみ、あれをする
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