をひッぱたいて堂々天下をカッポして欲しい。こういう茶番的な悲劇はつまり己れを知る生活がなく、如何に生くべきかという根本の態度が確立されておらぬことによる。
 日本には男女交際の歴史がないから、急に男女交際をやると間違いが起りやすいと云うが、これは歴史の有無によることではなくて、自覚的な知識生活が各個人に不足している、つまり各人の教養が低いというのが根本の問題であろう。
 如何に生くべきか、生活態度が確立しておれば、そこには下らない悲劇はない。騙された、とか、人の犠牲になった、とか、そういう受け身の新派悲劇は有り得ず、すべては自己の責任に於て行われているから、失敗も、そこから立ち直り伸び上る踏石となり、次の歩みのフミキリとなる。
 神ならぬ身には、間違いはある。いくら聡明であっても、世故にたけた悪者には騙されることもあろうし、世馴れぬ同志で予期せざる摩擦を起したり不調和を発見することも有る筈である。如何に生くべきか、いくらその自覚的な生き方が確立されていても、まぬかれがたい失敗に遭遇することは避けがたいものだ。
 その失敗を怖れて避け、だから交際は禁止するに限るなどゝ云っては、人間の生活
前へ 次へ
全10ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング