実な勉強も行われていない。たゞもう、自分の小説に都合よく、デクノボーみたいに、あっちへ曲げこっちへヒン向け、有りうべからざる人間心理をデッチあげて、平然たるものである。
 探偵作家の人間に対する無智モーマイ、それが即ち、探偵作家の根柢的な無批判性の当然の帰結でもあり、批判力があるならば、第一に、百年一日の如くクダラヌ形式を鵜のみに物語をデッチあげて済ましておられる筈もなく、デクノボーのような人間をこしらえあげて済ましていられる筈もない。
 探偵作家はもっと人間を知らねばならぬ。いやしくも犯罪を扱う以上、何をおいても、第一に人間性についてその秘奥を見つめ、特に人間の個性について、たゞ一つしかなく、然し合理的でなければならぬ個性について、作家的、文学的、洞察と造型力がなければならぬものである。個性は常に一つしかない。然し、どの個性も、どの人も、個性的であると共に合理的でなければならぬ。いかなる変質者も狂人も、合理的でなければならぬ。
 人間性には、物理や数学のような公理や算式はない。それだけに、あらゆる可能性から、合理性をもとめることには、さらに天分が必要なのである。人間の合理性をもとめる
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