ための洞察力をもたないことは、作家たる天分に欠けることで、これを公理や算式で判定できないだけ実はその道が険しいのだが、現下の探偵小説界は、洋の東西を問わず、実はアベコベに、公理や算式がないことを利用して、勝手なデタラメをかき、クダラヌ不合理をデッチあげて、同じ穴の狸が、馴れ合って、埒もないものをヤンヤと云っているだけなのである。
 もう一つ、私がうけとった投書の一つに(この投書の主は自ら探偵作家と書いてある)私の「不連続殺人事件」に、あれだけの有名人の大犯罪に署長も検事も判事も現れず、新聞記者も現れないとは、とあるが、こういうクダラヌ現実模写がレアリズムの正道だと思っているから、くだらぬ模写に紙数の大半を費して、物語の本筋についての検討がオロソカになるのである。
 署長がきた、予審判検事がきた、新聞記者がきた、そんな本筋の外側のものなど一々アイサツしておっては、文学という芸術にはならない。何を書くべきか、フィクションとは何ぞや、それぐらいの小説作法入門ぐらいは心得ていなければならぬ。
 然し、日本だけではない。西洋に於ても、探偵小説作家は幼稚でありすぎるようだ。



底本:「坂口安吾
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