られたものを鵜のみにするしか能がないか、この投書のみならず在来の探偵小説がそれを証明しており、洋学移入可能の智能原始状態は探偵小説をもって第一人者となす。ヴァン・ダインだ、クイーン、カー、クリスチーだ、クロフツだ、フィルポッツだ、シメノンだ、といって、いったい芸術の独創性というものは、どこへ忘れているのやら。
 まだしも、他の芸ごと、たとえば、他の文学とか、音楽、絵画には、それぞれ、個性とか独創を尊び、形式やマンネリズムを打破することに主点がおかれているものだ。探偵小説ときてはアベコベで、先人の型に似せることを第一義としている。お手本がなければ、どうにもならず、お手本のクダラナサを疑ることなど毛筋ほどもないのである。
 私は本格探偵小説が知識人にうけいれられぬ原因の最大のものは、その形式のマンネリズムにあると信ずる。つまり一方にマカ不思議な超人的迷探偵が思い入れよろしく低脳ぶりを発揮し、一方にそれと対してあまりにもナンセンスなバカ探偵が現れて、わかりきったクダラヌ問答をくりかえす。とても読めるものじゃない。
 ガボリオーの創始した型を三人四人模倣したら、たいがい作者も読者もウンザリしそ
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