されているのであるが、その他の亜流の作品には必然性というものはない。いつか形式ができ、その馬鹿の一つ覚えというほかに一切の取り柄がないのである。
ヴァン・ダインとなると、この形式の臭気は、まったく鼻持ちならなくなる。フィロ・ヴァンスなる迷探偵が何かにつけて低脳そのものゝ智者ぶりを発揮する。まったく、こゝまで超人的明察となると、これは低脳と云わざるを得ない。作者の頭の悪るさの証拠である。つまり、智能の限界を知らないのである。
これに配するボンクラ刑事は、マーカムという検事、ヒューズ警部、御ていねいに二人まで登場して、読者には判りきったマヌケぶりを、くりかえし、くりかえす。このバカ問答がヴァン・ダインの探偵小説のほゞ三分の二を占めている。
この低脳ぶり、無能無策の頭の悪さに立腹するどころか、これぞ探偵小説の本道などゝズイキしてお手本にしているのが小栗虫太郎はじめ日本の探偵小説家であるから、みんな三分の二はムダなことを得々と書いていられる。
私が先般、探偵小説の型に合わない、形式も知らずに探偵小説を書くとは怪《け》しからん、という投書があったが、いかに日本人というものが猿智恵で、与え
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