本一の豆腐ださうだが、東京のさる高名の料理屋が、この豆腐の製法をつぶさに模して作つたところ、一丁が五十銭につくので断念したといふ話があるのださうである。一流人の大精神は京都くんだりの不良少女づれに分らう筈のものではない。ますらをは花と咲き、また花と散るものぢやよ。ちよつとしても、日本一の豆腐ぢやなきや食はないから、ザマ見やがれ、と意気揚々、まづ祇園乙部の見番に杉本のおつさん(これは小生の碁敵だ)を訪れ、日本一の豆腐の由来を説明して、案内を頼んだ。
さて、おつさんの案内で、まんまと日本一を手に入れた御両人、これを河豚料理屋へ持参に及んで、これで「てつちり」こしらへておくれやす、と見事に通なる註文をだし、なに河豚の毒血なんざあ搾らねえでも構はねえと大きなことをぬかしながら、大いに酔つたね。
この時以来京都の街が狭くなつて大いに弱つた。人口百万もあるくせに、盛り場がたつたひとつで、新京極まで行かなければ活動写真も見られない町である。東京には友達が何万人――はちと桁が違つたが、ゐる小生、銀座で友達にめつたに会はぬが、友達がたつた二人の京都では屡々新京極でかちあつたのだから、だらしないほど小さな街だ。さて不良少女といふもの、年中盛り場を流してゐるものと見え、散歩のたびに必ず奴等にぶつかるのである。奴等を見れば、そぞろに身のふがひなさを思ひ知り、世の無常を感じること限りもなく、坊主にならうか、いつそ京都の警察へ志願して奴等のどぎもを抜いてくれようかと煩悶しながら、慌ただしく小説を仕上げて、一目散に東京指して逃げのびてきた次第であつた。
底本:「坂口安吾全集 02」筑摩書房
1999(平成11)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「都新聞 第一八三四二〜一八三四四」
1938(昭和13)年11月24〜26日
初出:「都新聞 第一八三四二〜一八三四四」
1938(昭和13)年11月24〜26日
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年11月16日作成
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