が命カラガラ爆撃を逃げて麦畑へ飛びこんで俯伏すと、この野郎、国民のイノチのもとの麦畑を踏み荒すとは何事か、と私につかみかかってトッチメる奴がある。畑の持主の農夫じゃなくて、私より一足先に麦畑に避難していた戦闘帽の若い職工なのである。血迷っているのだ。麦は国民のイノチのもとであるかも知れぬが、その麦を大事にするのは国民のイノチが大事だからで、私自身はつまりその国民であり、そのイノチの難をさけて麦畑へ逃げこんでいる次第なのだが、この先生は、国民のイノチよりも麦のイノチを大事にしている錯倒にとんと気がつかず、血相変えて私の胸倉をつかんで、とっちめているのである。
かような智能の小児麻痺的錯倒から、終戦となり、民主主義。いきなり接木に健全な芽が生えてスクスク成長するはずのあるべきものじゃない。今日、すでに戦争は終ったという。しかし、どこに戦争があって、いつ戦争が終ったか、身をもってそれをハッキリ知るものは、絶海の孤島で砲煙の下から生き残ったわずかな兵隊ででもなければ、知りうるはずはない。誰も自主的に戦争をしていたわけではないのであるから、戦争というから戦争と思い、終戦というから終戦と思い、民
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