なふうにして、この二人の若者は淡々とつまみあげて、投げだしたり、ポケットへ入れたりしたろうと思う。見ている私に隠したり、遠慮するソブリなどはミジンもなかった。屍体から物をはぎとること自体が、一つの義務的な作業のような有様であった。
 事実、あのころは、それで良かったのであろう。あの焼け野原の東京の物資の欠乏は今どころじゃない。靴も、時計も、帽子も、あのころは金はあったが、物がなかった。これから焼いてしまう死人に、立派な靴、帽子、時計はいらないのだから、それを灰にするよりも、残して自分が使う方が国家のため役に立つ。
 三百、五百とつみ重ねてある焼屍体に、合掌するのは年寄の婆さんぐらいのもので、木杭だったら焼けても役に立つのに、まったくヤッカイ千万な役立たずめ、というグアイに始末をしている人夫たち、それが焼け跡の天真ランマンな風景であった。まったく原色的な一つの健康すら感じさせる痴呆的風景で、しみる太陽の光の下で、死んだものと、生きたものの、たったそれだけの相違、この変テコな単純な事実の驚くほど健全な逞しさを見せつけられたように思った。これが戦争の姿なんだ、と思った。
 そうかと思うと、私
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