て誠実な自覚があって、初めて政治というものに向上を期待し、われわれの生活をゆだねうるのである。
 政治家に、人間の自覚が欠けているのだ。政策もむろん欠けている。しかし、なによりも、人間の自覚が完全に欠如している。首相が行い正しいクリスチャンであるとか、品行方正であるとか、そんなことは、とるに足らぬ。品行不良でもかまわないから、人間とはいかなるものか、自分とはいかなる人間か、人間の宿命の悲痛さを、深く誠実に思い知り、罪の悲しさを知らねばならぬ。
 私は帝銀事件に戦野を思う。十六人がバタバタ倒れてゆく。一人冷然とそれを見ている犯人。私はどうしても悪鬼の姿を見ることはできない。私はそこに、戦野の匂いをかぎ、五月のうららかな陽ざしの下で屍人の帽子をポイと投げる無心な健康な原色的な風景を思いだす。
 いったい、なにを憎んだらいいのだ。なにも憎む必要はないのだ。人の宿命の悲しさに思いいたれば、憎むべきなにものもあるはずはない。そしてそこから、おのずからまことの建設は行われてくるはずのものなのだ。
 まず人間を自覚しよう。人間とはなにものであるか、謙虚に、誠実に、自分の心をふりかえる生活を、万人がも
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