もなしに一国の政治をとるなどとは言語道断と申さねばならぬ。
もとより、万人が聖人となった理想社会でなければ、犯罪のなくなる時はなく、万人ことごとく聖人となる時代など永遠に有りうるはずがないから、犯罪のつきる時はなかろう。
われわれ文学の徒は、人間をすべて罪の子と見、あらゆる人間が誰しも同じだけ罪の因子をもつものと見て、その個人に加わる条件に犯罪の必然性を認め、一キクの涙をそそぐ。かかる場合に、われわれは、罪を政治にぬりはせず、人間の宿命のせつなさに思いを寄せ、無限の愛を寄せ、せめても、その愛によって、高まりたいとこい希うものである。
しかし、政治家は、文学の徒とは違う。文学の徒は、犯罪を人間の宿命によせ、愛によって高まることを方法とするが、政治は人間の原罪に関するものでなくて、現実の、そして万人に公平に課せられた配給的なものである。単なる米ミソの配給にかぎらず、大体に、制度というものは配給的なものなのである。
文学の徒は、犯罪を宿命に寄せ、政治などに罪をぬりつけはしないけれども、政治家は、政治の罪を自覚しなければならぬ。犯罪の中に政治の貧困を自覚しなければならない。その謙虚にし
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