な美談をかりてマンチャクするのみのこと、このこと自体悪徳であり、政治家として自らの無能に愧死すべきのみ。
 われわれの現実に、キリストはいらぬ。政治家がわれ等の罪を負うてハリツケにかかったところで、われわれの空腹は救われはせぬ。ただ政治家が厳しく認識して、踏んで立つ唯一の地盤は、道義のタイハイも魂の荒廃も、人間自身に罪があるのではなくて、物資の窮乏甚だしきによってであるという単純極まる一事の認識にすぎない。
 片山前首相が、帝銀事件の犯人について、未曾有の兇悪犯であり、すべてに代えて逮捕せよ、などと警官を激励するのはオコの沙汰と申すべきで、これが警視総監の言ならば当然であるが、首相たるもの、その政策のいたらざるをまずもって三思すべきではないか。
 もとより、戦後の窮乏荒廃であるから、誰が首相になっても、オイソレと埒のあくはずのものではないが、かかる兇悪犯といえども、罪は人間にあるのではなくて、物資の窮乏と現実の荒廃にあることぐらいは、常に当然認識がなくて、一国の首相などとは笑止千万と申さねばならぬ。犯罪あるたびに、わが政治のいたらざるを憂うるのが、まことの政治家であり、それぐらいの自覚
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