ムの騒ぎに睨みをくれて、やがて車は人をブラ下げてひきずりつつ闇へ消え去る。これは私が東京新聞の記者とともに目撃した事実なのである。やがてキャーッという悲鳴をきくや、私たちは見るに堪えず、地下道さして、期せずして一目散に逃げだした。あとで分かったが、キャーッという悲鳴は、ひきずられつつある人の悲鳴ではなく、それを認めた若い婦人の悲鳴であったそうな。あとで思ったが、絹をさくようなキャーッという悲鳴、物の本にはザラにあって、私は現実にはじめてきいたのであるが、人が白刃の下でまさに殺される時に、覚らずしてこんな悲鳴をおのずと発するに相違ない。
 二合五勺の、そのまた二十数日の欠配。これを忠実に守って死んだ判事があったが、生き得べからざる現実の中にわれわれは生きている。ヤミをしなければ生きられぬ。タケノコ生活ができなければ、身を売り、ヤミをやり、盗みを働くほかに手がなかろう。さもなければ、判事のごとく死する以外に道はない。
 つまりわれわれの四囲の現実というものは、戦争と同じように荒廃しきっているのである。戦争と同じように、と私はいったが、私は戦争そのものを知らないのだ。ただ、戦争中における私の四囲の現実を知っていたが、恐らく大部分の人々がそうであるに相違なく、大陸でノンビリ戦争していた人々などは、そのころは衣食住は保障され、わがままは通り、今の現実にくらべれば、どっちが苛烈な戦地であるやら、これを通観して、今、戦争が終った、などと、観念上に架空な言葉を押しつけても、四囲の現実というものは、なお戦争そのものなのである。戦争は終った、という観念上の空言を弄して、この現実に新展開をもとめようとするのは、現実に魔法を行おうと試みるような幼稚なことで、現に荒廃せるこの様相をまずシカと認識してかからねばならぬ。すなわち、街は焼け野である。人は雑居し、骨肉食を争い、破れ電車に命をかけて押しひしめいている。
 私が帝銀事件に感じるものは、決して悪魔の姿ではない。バタバタと倒れ去る十六名の姿の中で、冷然と注射器を処理し、札束をねじこみ、靴をはき、おそらく腕章をはずして立ち去る犯人の姿。私は戦争を見るのである。
 あの焼け野の、爆撃の夜があけて、うららかな初夏の陽ざしの下で、七人の爆屍体を処理しながら、屍体の帽子をヒョイとつまんで投げだす若者の無心な健康そのものの風景。木杭よりもなおおそまつに
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