見えるが、利巧になるせいか、かからなくなってしまう。それに、ちょッと明るくなると、流し釣はもうダメである。薄明とカバリの色や形とに微妙な関係があるらしく、私の五ツのカバリのうちで、かかってくるのは、いつも同じハリであった。なるほど釣り師が微妙な心境になったり、むつかしいことを言いたがる心境になるのも当然かも知れない。とにかく、エサをつける手間がかゝらないという点だけで、私は今でも、鮎つりだけはやってもよい気持が残っているのである。
 小林秀雄、島木健作は馬鹿正直にやってきて、メダカをくって酒をのんでいた。
「ウム、鮎の香がする」
 といって、ともかく、満足しているのは三好達治だけであった。かすかに鮎とおぼしき味覚の手応えがあるが、概ね頭と骨とそれをつゝむ若干の魚肉の無にちかい量を感じるだけであった。
 それでも、昼すぎる頃に、三好の門弟が酒匂《さかわ》川で釣った鮎を持ってきた。釣り場の料金を払うだけあって、四五寸はあり、二百匹釣っていた。二百匹ともなればメダカでも大したものだが、早川の方は我々合計して五十匹ぐらいの悲しい収獲であった。タダだから、仕方がない。
 昭和十六年の六月一日であ
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