害無役かも知れない。私は然し大して利く薬だとも思はないので、まア、せいぜい気休めのオモチャ程度にしか考へてゐない。
 だから私は別段読物を軽蔑してはをらぬので、否、文学といふものを、大したシロモノだとは考へてゐないのだ。たゞ読物は健康人のオモチャであり、文学は病人のオモチャだといふだけのこと、然し、この違ひだけはハッキリさせなければならぬ。
 魂の病人とは何者か。たゞ、人間といふことだ。人間として生きてをり、自我を見つめて生きてをり、自我の真実な生き方を考へてゐる人であるにすぎない。
 文学は、いくら面白くても構はない。ハラン重畳、手に汗をにぎらせ、溜息をつかせても、結構だ。さういふことによつて文学の本質が変化することはない。日本の文学は、面白くなさすぎた。あんまり直接たゞ一服の鎮痛薬であるばかりで、病人の長々のオモチャに徹するだけの戯作者魂が乏しかつた。
 徳田秋声の「縮図」は淡々と女の数奇な一生が描かれてゐる。その淡々さが神品だなどゝ、愚にもつかないことを云ふ。芸術は力の世界だ。淡々だの風格だのといふことによつて、対象にくひこむ深さが低ければ、文学の価値は低いのである。そして日本の
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