文学として通用してゐたのである。
 徳永直の「はたらく一家」といふのも読んだが、これも、やつぱり、読物だ。私は読物の存在は否定しない。読物といふものが存在し、それが多くの人に(然り、文学などよりも、もつと遥に多くの人に)読まれることは当然なのだがそれを文学だと思つてはいけない。
 文学は報告書ではなく、暴露史でもない。別に変つたものではなく、たゞ人性の真実が語られてゐるだけのことである。ある階級のものではなく、たゞ、人間のためのものだ。
 政治の発見といふけれども、人間の発見が更により以上大切だ。より良き政治といつたところで、政治によつて真実人間の救はれることはあり得ない。
 この地上から貧乏な人だの病気で苦しむ人などがなくなることは望ましいことであるけれども、不幸な人はなくならない。悲しみや切なさや虚しさや苦しみの根はなくなる時がない。こんなことは分りきつたことだ。
 文学はさういふものに解決を与へるやうな大それたものではないので、悲しさだの不幸などゝいふものに元々解決などは有り得ない。毒を以て毒を制すといふが、いはば、まア、魂の病人の鎮痛薬のやうなもので、劇薬だから、病人以外には有
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