なり得ずに諦観へ沈みこんで行つたことなぞも、彼にとつて自然であつても、私は必ずしも文学的に「望ましい」変貌であつたとは思つてゐない。勝利の変貌であるよりも、敗北の変貌であつたやうだ。
彼は祖国の宿命に負けたのだ。然し、これに就ては、私は近く「小林秀雄論」を書く予定になつてゐるから、今はこれだけでやめることにしよう。
丹羽文雄の「現代史」は形だけの変貌の悪見本だ。日本が戦争に勝つたならばこの小説は発表することが出来なかつたであらう、と丹羽は序文に言ふのであるが、この小説の発表する、されないの焦点は、ジャーナリストの関心で、文学者の関心とは話が違ふ。
だいたい、この小説の構成原理は、文学でなしに、ジャーナリズムの原理によつて成されてゐる。つまり、この小説は、人間が動きだすことによつてその内部的な又外部的な必然から、(或ひは偶然でも構はない)事件が生起し構成されてくるのでなしに、たゞノリとハサミと文章によつて歴史的事象をつなぎ合せ組み合せた読物にすぎない。読物と文学をゴッチャにしてはいけない。
今までの日本は文学でなしに読物が多すぎた。おまけに読物が読物としてゞなしに、文学として、純
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