らぬ筈はない。作者の二つの呼吸が高度の文学性に於ても尚ぴつたり合へば、かうした楽しい小説も、すでに傑れた文学である。たとへば尾崎士郎氏の『人生劇場』青春篇などは、この種類にあてはまるものであらう。
 葉山嘉樹氏の『海と山と』も興にまかせて一気に書いたといふ風な物語りである。
 畠山といふ甚だのんびりした文学青年が、マドロスにあこがれ、たうとう船に乗りこんでカルカッタまで航海にでる物語りだが、登場人物みなみな愛嬌のある善人ばかりで、肩のこるところが全くない。その代り純文学としては甚しく低調だ。一読肩が凝らないが、高度の文学性をも笑ひや楽しさを与へてくれるものではない。
 従而《したがつて》、ユーモラスなこの物語りは、むしろ大衆文学に属するものだが、この小説はとにかくとして一般にこれと種類を同じくする楽しい小説が、楽しさの故に不当に低く評価され易いのは悲しむべきことである。楽しさとか面白さはそれ自体決して不純なものではない。深刻とか苦悶とか内省ばかりが純文学の対象になりうるわけではないのである。作家も読者も一般にこの種の楽しい小説を試み、又求める精神がすくないのは、思ふに日本的思考が現実的
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