で観念性が尠《すくな》いせゐであるらしいが、大文学を生むための過程としてもこれの欠如は大きな障りになり易く、甚だ残念なことである。
さて、最後に『新潮』二月号所載の奈知夏樹氏の三百二十枚の力作『フライムの子』に一言ふれたい。この新人の力作は単行本として出版されたものではないが、最近の書き下し長篇中では相当読みごたへのある作品であつたにも拘らず、当時の世評が不当に苛酷であつたため、ここに取りあげてみたいのである。
この小説も一気に書きなぐつたものである。だが葉山氏の場合と違ひ、陰惨な、苦悶にみちた物語りだ。だから面白がつて書いてゐる作品ではない。その代り「書かずにゐられなくて」書いたものだ。あれもこれも書きたくて、筆が勝手に走りだしたやうな小説なのである。だから文章の字面が粗雑を極めてゐて、殆んど文章の体裁をなしてをらない箇所がある。一見悪文の見本なのである。
だが、一見粗雑を極めてゐる文章によつて語られてゐる各々の事柄は、いづれも天分ある人のすぐれた、洞察のみがなしうるもので光り輝く意味を持つてゐるのである、元来小説は綴方と異つて、如何に書くか、といふことよりも、何を書くか、とい
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