ふことがより重大な意味をもつ、複雑無限な人生の事象の中から、狙ひをつけ、取りあげてくる事柄自体が、まづ小説の文章の価値を決定する。文章としての形や調子が揃つてゐても名文とは言へないのである。
『フライムの子』は綴方としては悪文だが、小説としては近来稀な名文だつた。文章の一句々々がすぐれた天分ある人の洞察によつてのみしか言ひ得ぬ意味をつたへてくれる。観念的ではあるが、その観念が作者の肉から生れてゐて、贋物と違ふ。小説の場合、文章を読んでその意味を読まぬのは不当だ。形を知つて精神を知らぬ者に文学は通じない。綴方としての文章の晦渋さに疲れてこの小説を投げだした人に、もう一度、精読をおすすめしたいのである。



底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「徳島毎日新聞 第一三五七五号、第一三五七九号〜第一三五八一号」
   1939(昭和14)年3月25日、29日〜31日
初出:「徳島毎日新聞 第一三五七五号、第一三五七九号〜第一三五八一号」
   1939(昭和14)年3月25日、29日〜31日
入力:tatsuki
校正:no
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