格は、一見甚だ観念的で異国風なものに見えるが、治右衛門、辰二郎と並べて見ると、その外部的な表出はとにかくとして、日本の豪家の一族には、却つて甚だ有り易い型ではないかと思はれる。さうして、これら三兄弟の性格の関係自体がまた甚だしく日本的だ。我々が常に見馴れてゐるために、すぐれた作家の筆によつて描かれなければ、気付かず見逃し易いほど普通的な型なのである。すぐれた作家は常にかうして我々が見馴れすぎて不感症の世界から新鮮なものをもたらしてくれる。
 然し乍ら、この小説は完璧の相をもち、読むあひだは作中に人をひきこむ力を具へてをりながら、さて、読後ふりかへつてみる時には、まとまつて受ける感銘が稀薄なのだ。
 思ふにそれは、この小説に根柢的な分裂があるからだと思ふ。外的には完璧で破綻を示すところはないが、根柢に於て分裂があるのだ。それは、又、先にも述べたこの作品の唯一の弱点、所詮少年の世界は、大人の苦難に食ひこむ文学になり得ないといふあのこととも関聯してゐる。即ち、この小説の傑出した部分はいづれも晋少年と交渉のない場面のみなのであるが、作者の置く重心はむしろ常に晋にある。その分裂があるために、この
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