家庭の甘さを承認しすぎてゐるやうである。デカダンスの外貌は或ひは悪徳であるかも知れぬが、デカダンスに走らざるを得ぬ精神のひとつには実は最高のモラリストの精神があるのだ。石川氏の拒否するデカダンスは不幸にして、高いモラリストの精神が住むそれではなかつた。この小説の安易さは、そこにかゝつてゐる。
 然しながら、この小説は甚だしく観念的で、理窟つぽいにも拘らず、人を読ませる力をそなへてゐるのである。思ふにそれは、作者自らの「生きてゐる生活」に根ざした文章であるためにほかならないと考へる。
 このことを昨日批評した農民文学に比べると『部落史』や『田舎』のひとつの弱点が明らかとなるであらう。即ち『部落史』や『田舎』には、作者の生活がないのである。しかも極力農村の生活を描きながら。
 なるほど、これは前記二つの農民文学の欠点であつたとはいへ、作者の生活がないこと、それは必ずしも文学の価値を減じはしない。真に傑れた小説は、作者の生活と没交渉でも成立しうる。そのことを、例をひいて、明日の批評で述べたいと思ふ。

   (三)[#「(三)」は縦中横] 完璧の作品『草筏』

 外村繁氏の『草筏《くさいかだ
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