野浩二氏が嘉村夫人に就いて何かの雑誌へ感想を書いた。宇野氏は嘉村氏の不遇の頃から極力|推輓《すいばん》してゐたもので、嘉村氏との私交も普通のものではなかつたのだらう。宇野氏は嘉村夫人の亡夫への思慕の一様ならぬ切実さに打たれた感慨を述べたあとで、その文章のいちばん終りに、だがいくら貞女だつて、良人が死んで暫く立てば、またどうなるか分りやしないといふ意味のことを甚ださりげなく匂はしてゐたのを、僕は呆気にとられて読んだことを忘れない。ひどく打たれ、感心したのである。怖るべき小説家魂だと思つた。
 このやうな怖るべき小説家魂をもつてきて『結婚の生態』をこの鏡の前へ置いたなら、この小説の人生観と生活との破綻のなさが実はこの小説の弱点であることが納得されよう。
 この破綻のなさは一面たしかに強味となつてもゐるのであるが、いはゞそれはこの小説がひとつの惚気《のろけ》であり目下のところ、惚気られてもちよつと文句が言へないほど外面的には仰せの通りだ、といふやうな意味である。
 石川氏はデカダンスには意識的にふれようとせず、逆へ逆へと急ぎすぎた感がある。デカダンスの逆なものを急速に欲しすぎて、あまり簡単に
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