あらう。農村生活の形態は素朴であり、農民は素朴であるかも知れないが、その素朴を素朴に書くためにも、作家自体の観念が素朴であつては不可である。作品の裏側に書かれざる複雑な作家の観念がなければならない。『部落史』は冗漫すぎる描写によつて小説の形式として失敗し、人間性を度外視した弱者(形態上の)への偏愛によつて、小説そのものとして誤つてゐる。
 丸山義二氏の『田舎』は西播磨のかなり裕福な農村と農民を描いた小説である。美人で働き者の嫁が、姑と小姑にいぢめられながらも、良人と隣人愛に生き、やがて良人の応召によつて、めでたしとなる。
 若しもこの小説から、農村の生活様式の冗漫な描写を取去つたなら、いつたい何が残るだらうか、キングの通俗小説と同じものしか残らない。
 それ以上の深さも高さもなく、悪いことには、それ以上に面白くもないのだ。さうして、この小説がとにかく通俗小説らしいのは、たゞ冗漫な農村の生活様式の描写があるからに外ならない。
 純粋小説はその冗漫な描写によつて通俗小説よりも傑れてゐるわけでないのは自明だが、不幸にして以上の二作は農村描写の冗漫を除けば――即ち人間性の問題となれば、結局通俗
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