待をもつて読んだ農民文学には最も甚しく失望した。僕は元来農村といふ我々の都会生活とはかけ離れた生活形式によつて歪曲された人間性が、長篇といふ形式をかりて陸離たる光彩を放ちながら描破されはしないかと考へてゐたのであつた。この期待は余りにも外れすぎた。
打木村治氏の『部落史』は冗漫すぎる短篇と云ふべきものであつた。たゞ徒らな克明さで描写の筆を浪費したにすぎないものだ。克明に顔形や表情を描写する。酒をついだりつがれたりの酒宴の描写に数十枚を費す。
この小説は権力にひしがれながら、それに抗して生活と恋を建設して行く吾一とキクの物語が経線となつてゐるのであるが、この小説が人間性に根ざしてゐる深度といへば、二、三十枚の短篇で足りる程度の深さであらう。
農村の生活様式を描写報告するためには、決して小説の形式を必要としない。その様式の中の人間性を描くために、はじめて小説が必要となるのである。権力を濫用する者が常に悪玉で、しひたげられる者常に善玉とは限らない。権力富力を得れば濫用したがるのが恐らく凡人の避けがたい弱点でもあらう。さうした一応の観念的計量を終り又超えたところから文学は始まるべきもので
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