信濃の山奥の宿で、これは首を吊つたのだが、縄が切れて、血を吐いて気を失つて倒れてゐるのを発見された。次には横須賀の旅籠《はたご》で、次には自宅で。これは致死量以上の劇薬を嚥みすぎて結局生き返つたのである。このほかにもやつてゐないとは言へない。一週間ばかりといふもの、連日つづけさまに死に就ての已に錯乱した感想を受けとつた記憶が二度ばかりあるが、その結果がどうなつたことやら私は忘れた。とにかく、毎年春になると一種の狂的な状態になるのである。これは如何ともなしがたい生理的な事柄であるから、仕方がなかつた。
私は彼のやうに「追ひつめられた」男を想像によつてさへ知ることが出来ないやうに思ふ。その意味では、あの男の存在は私の想像力を超越した真に稀な現実であつた。尤も何事にさうまで「追ひつめられた」かといふと、さういふ私にもハッキリとは分らないが、恐らくあの男の関する限りの全ての内部的な外部的な諸関係に於て、その全部[#「全部」に傍点]に「追ひつめられて」ゐたのだらうと思ふ。たとひ恋をかちえても、名声をかちえても、産をなしても、恋を得たことによつて名声を得たことによつて一人あくことなく追ひつめられ
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