び緊急村会が召集されて対策が凝議されたが、余は特に次のような発言を行った。
「私は村政を皆さんに任せ放しにして無為無能をもって自任している村長であるから多くのことは望まないが、ともかく村長には変りがないから、皆さんの決議の如きは一応これを私に報告して村長の意見も徴してもらいたいものと思う。さすれば今回の事件の如きも、あるいは事前に防ぐことができたかも知れない。私はとりたてて能がないが、ただ一つ中庸を尊ぶことに於て人後に落ちないことが取柄ではないかと考えている。政治というものは技を要し策を要し、機にのぞみ変に応じて甚だ複雑困難なものの如くであるが、一面中庸を失わなければ大過なきを得るものの如くである。その意味に於ては、無為無能の村長たる私も多少の存在理由を認めうるかに考えている次第である。しかるに村長の意見を徴することなく村会の決議を実行せられては、私としても多少の取柄を発揮する余地がなく、村民に対しても合せる顔がない。以後かかることのなきよう、特に皆さんの御注意をうながしたいと思う」
すると根作が立って云った。
「俺も村長に一言注意しておきたいが、そういつまでも俺は無能の村長であるとおさまってもらってはこまる。御承知の如くに村の財政は予算難であるが、予算が足りなければ根作の馬を売って不足を補えばよいなぞとは、無能どころか、ワンマン、暴君である。無能を売り物にして難局に当ることを避けるのは卑怯だが、どうだ。俺が一つやってやろうという気をそろそろ起してはどうだ。足りない予算は俺がつくろう、思いきって自腹を切ってやろうじゃないかという気持をそろそろ起してはどうだ。仕事に身を入れれば、人間は自然にその心を起すものだが、軍人は村長になっても自腹が切れないか」
「そうだ。そうだ。自腹をきって金をつくってこい!」
どよめく声が起った。中には、軍人の罪ほろぼしをやれ、という声もあった。殿様のつもりか、という声もあった。いずれも余の臓腑をえぐる声であった。またしても軽率に言を発して、身をさいなむに至ってしまった。
余の生家は富裕ではなかった。余に残された畑の如きも、素人が耕して手があまるほどのものでしかない。幸い余が軍人時代に老父母のために新築したのが今日わが身の役に立っているのであるが、そのほかには蓄えというものもない。思えば、村長たるの給料によって戦後はじめての栄養を得ているような次第であった。余は茫然立ちつくしてただ一同のしずまるを待ったのち、
「諸君の言は余輩の臓腑をえぐるものがあった。諸君の叱責、まことにさもあろう。ここに深くお詫び致すものである。自分に貯えがあれば自腹を切りもしよう。また政治家たるの才があれば金策に奔走もしよう。そのいずれも持ち合せがないと知って村長の地位をけがしたことは不明の致すところである。ここに深くお詫びして、辞職いたすこととしたい」
それは余の心底から発した声であったが、一同にとっては意外であったらしい。妙にしずまり返って、言葉を発する者もなくなってしまった。そのとき立ったのは羽生助役であった。意外にも羽生は一同をはったと睨みつけて、
「議員諸君の言は村長に対して無礼千万である。そもそも佐田海軍大佐を村長に推薦するに当って、諸君は大佐になんと約束したか。金策その他の雑務については一切大佐に御迷惑はおかけしないという約束ではないか。そもそも大佐は清廉潔白、身を持すること厳格、軍人中にあっても亀鑑と申すべき謹直無比の将軍である。私利私欲、利己主義のかたまりのこの村の人間とはものが違うぞ。世が世ならば、貴様ら、足もとへ寄りつくこともできやしないんだ。死んでからでも同席できる身分じゃないぞ。貴様らは畜生道におちた奴らだ。地獄の鬼が迎えにくる奴らだぞ!」
羽生の見幕の怖しさ。余も思わず襟元に冷水を浴びた思いがした。
このようなことがあって、当日の緊急村会はめちゃ/\になり、余の村長辞職の件はうやむやになってしまった。
翌日余が出勤を渋っていると、羽生がわざわざ迎えに来た。役場へでてきて、村長の席に大きな顔をしておさまっていてもらわないと始末がつかないからと云って、手をひくようにして連れだした。
「彼らにとっては自分の損ほど天下の大事はないのです。世のため人のために一文といえども投げだすことを知らないのです」
羽生の怒りはつきなかった。
彼がかく心境の変化を来したのには理由があった。彼が今回のいやがらせの発頭人であったため、いやがらせが思うように効を奏しなかった結果として仲間の批難が彼に集中した。
特に今回のいやがらせには相当の費用がかかっている。それは村の予算外のものであるから、仲間同志で負担する取り極めであった如くである。しかるに思うように奏効しなかったものだから、まず金の恨みが第一にきた。彼らの羽生への吊し上げは猛烈をきわめた由であるが、それは彼らが、費用の負担をまぬがれたい一念によるものの如くである。村の噂によれば、結局羽生が全額負担することになったという話であった。
思えば羽生も不思議な人物である。あるいは悲劇的な人物と申すべきかも知れぬ。村のためには手弁当で東奔西走しながら、報われること少く、また彼の意見が尊重されたこともない。たまたま彼の意見が敬意を払われた如くである場合には、狡猾な村人たちが負担を彼に負わしめた場合の如きに限られているようである。
彼は富める人の如くにも思われぬから、手弁当はとにかくとして、今回の失費の如きをいかにして支払うのか、人ごとながら頭痛にやんだほどである。しかるに彼は彼自身の損害や心痛については決して語ろうとしなかった。彼は身にふりかかる苦難は誰にも秘めて堪え忍ぶのが本懐なりと堅く心に期するものの如くである。それにひきかえ彼に苦難を与えた人物に対しては邪推の限りをつくして悪口を浴せた。
「今だから申しますが、小学校の怪火には、放火した犯人がいるのです」
彼は余を役場へみちびく道すがら、突然そのようなことを云いだした。
「君はその犯人が放火の現場を見たのですか」
「見てはおりませんが、諸般の状況で彼が犯人であることに間違ありません。犯人は根作ですよ」
憎悪に狂ったあまりの例の邪推に相違ない。余が聞き耳をたてる風がないのを見て、彼はいささか気色ばんで説明をはじめた。
「昨年、小学校の怪火に先立って火事が三度もつづいたのは御記憶のことと思います。いずれも火の不始末からの失火ですが、この村に三度も火事がつづくなどとは、曾《かつ》てない異常な出来事です。当時村の消防団長だったのが根作ですが、そこで彼が先頭に立って、防火週間というものをやりました。戦争中でも防空演習をやらなかった村なんですが、こう火事ばやりでは実戦的にやらなくちゃア、まさかの役に立たないからというので、バケツリレーを戦時の東京と同じように村民総出で一週間つづけましたね。あなたもバケツリレーに参加されたようですが、村民の大部分は渋々ながらも参加したようなわけです。ところが、小学校の教員の大半の者がとうとう一日も姿を見せなかったのです。彼らの云い分によると、バケツリレーというものは、空襲の場合なぞに限られるもので、みんなが支度をととのえて火事の起るのを待ちかまえている時に限って役に立つかも知れないが、平時の火事にはリレーするほど火事にそなえて人がかたまっている筈はない。早い話が小学校に深夜の火事があった場合、その近所には民家が一軒もないのだからバケツリレーはできない相談だ。それだけの人数が集る時には消防が到着している筈で、もしも消防が到着せずにバケツリレーで消す必要があるとすれば、そんな消防団こそ大訓練をやって魂のすげかえをしなければならないと云うのです。小学校には宿直という者がおって常時火の用心を心がけているから、今さらバケツリレーなどに参加の必要はないと云って、根作がいかに談じこんでも防火週間に協力してくれなかったのです。村民の大半もイヤイヤながらバケツリレーに駆りだされていたのですから、学校の先生の云い分が尤もだと云って、根作の評判の方が悪かったのです。根作はそれを根に持ったのです。彼は小学校の校長と、こんな風に言い合いました。(小学校から火事がでれば宿直の者がきっと消すか)(宿直は消防じゃないから火事を消すことはできないが、火事がでないように厳重に見まわりを行っているから、学校から火事がでる心配はない)私はそのとき一しょにそこにいましたが、根作はこう云われて、返す言葉もなく無念の唇をかんでいたのです。無念のあまり、彼は小学校に放火しました」
「誰かそれを見た人がいるのかね」
「誰も見たわけではありませんが、彼の放火に間違ないのです。その晩宿直の教員が宿直室をぬけだしてだるま宿で一ぱいやって酔っ払ってしまったのです。そのとき隣り座敷に飲んでたのが根作です。根作は宿直の教員がへべれけになって学校へ戻ったのを知ってだるま宿を立ち去りました。宿直の教員は校内の見廻りを忘れてぐっすりねこんでしまったのですが、約三時間後にふと目をさました時には校内は火の海だったのです。彼は見廻りは怠りましたが、火の気のあるべき筈のない校舎の方から火事が起ったことは明かなんです。怪火の原因はいまだに不明とされていますが、根作の放火は間違のない事実ですよ」
「かりにも消防団長が放火することもあるまい。彼は特に熱心な団長だったそうだね」
「熱心のあまりです。戦争を裏切る者は軍人ですよ。私も多少兵隊のめしを食っていますから、軍人が威張り屋で人一倍嫉妬心の強いことが身にしみています。奴らが一番願っているのは、国のことではなくて、自分の成功と、他人の失敗なんです。もっとも、軍人だけに限りませんや。すべて各界に於ける最大の裏切りは、その道の者が行うのですよ。何事によらず、そうですとも」
余はむしろ彼自身がそのような放火犯人にふさわしいと考えたが、彼の物腰も言葉もいかにも分別と落付きに富む風情で、変った様子は見受けられなかった。
しかるに次の日曜日に再び騒ぎが起った。羽生が単身学校にのりこんで、教室の床板をはいでいるというのである。
余が報に接して学校に赴くと、今回は戒厳令下の如きものは一切見当らない。子供たちは何事も知らぬげに校庭に遊んでおり、羽生がひとり教室の中で床板をはぐ作業に没入していた。
「御精がでるね」
と余は笑いながら彼に近づいた。
「学校の修繕かね」
「なーに。これは私のものだから、傷まないうちに取返すんですよ」
「君がそんなことをする人かね」
「へ。自分のものを取返すのが変ですか」
「君は手弁当で村のために献身する人ではないか。別して、学校再建のためには人知れず孤軍奮闘している人だ。学校再建のためにすでに相当の私財をそそいでいる筈ではなかったかね。この床板に限って取返すとはわけが分らないじゃないか」
「手弁当でやりましたとも。しかし、人間はいつまでも同じことやると限ったものじゃないですよ。子供をなだめるような言い方は、失敬千万ですぜ。それとも、今まで手弁当でやったから、私の財産はみんな学校へやっちまえと仰有《おっしゃ》るのですか。きいた風な口をきく代りに、あなたがやって下さいよ。私はもうこりごりですよ。そこは邪魔だから、向うへ行ってもらいましょう」
余はやむを得ずそこを去った。ふと宿直室をのぞいてみると、マリ子もその母も外出中らしく姿が見られなかったが、カリエスの病人が粗末な寝台にふとんをしいて寝ているのが見える。寝台とは云え、土間に棒をわたして板を並べただけのもので、土間から二三寸高いだけである。かりにも寝台なぞと申すべきものではなく、路傍の変死人を近所の小屋へ安置したようなものだ。このまわりに母と姉が藁をしいてもぐりこんでいる有様を想像すれば、難民の姿にまさる悲惨さである。これが大佐の遺族かと思えば余の胸はつぶれる思いであった。
余は羽生のもとへ引返して、
「御多用中相済まぬが、ひとつ商談に乗っていただきたい。私が私財で宿直室に床を張りたいと思うが、適当な値で板をゆずっていただけまいか
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