「私も元をとるつもりだから、値は特に安くはできませんが、それでよろしければゆずりますとも」
 相当な高値であったが宿直室に張れるだけの床板をわけてもらった。羽生は作業を終えて、板を車につみこみはじめたので、余は彼に大工道具を借りうけ、宿直室の床張り作業にかかりはじめた。そこへマリ子が帰宅した。
 マリ子は余に挨拶も返すことなく余の作業を眺めていたが、次第に蒼ざめた顔になった。
「よして下さいよ。私にことわりもなく」
 マリ子は余につかみかかって大工道具をひったくった。余はマリ子の感謝をうけるものと一途に思いこんでいたために、途方にくれてしまったのである。
「心やすだてに無断で作業をはじめて相済まない。日暮れまでに床を張りたいと思い立ったのでね」
「誰にたのまれてですか」
「たのまれたわけではないが、あなたがたばこと同じように喜んで受けてくれると思ったのでね」
「たばこと同じにですって! たばこと何が」
 マリ子の見幕がすさまじいので、余は言葉を失った。マリ子は土間の中をぐるぐる歩きながら云った。
「私たちはたたみなんて、もう捨てたんです。憎んでいます。たたみに甘えるぐらいなら、恥辱に生きられやしない。この病人をたたみへのせるぐらいなら、一思いに締め殺して安らかにさせてやるわ。私のおなかには恥だらけの子供がいるんです。先には子供をおろしたけど、もう、おろさない。大威張りで父なし子を生んでやるわ。土と藁の中へ生みつけてやるわよ」
 暫時のうちにマリ子の頬はげっそり落ちていた。目もくぼんで険しかった。余は跫音《あしおと》を忍ばせて去ったのである。
 校舎の蔭に羽生が身をひそめて聞いていた。余の去るを見て、彼も車をひいて従った。
 羽生は余にささやいた。
「女はあんなものですよ。一皮むけば、どの女もあんなものです」
 余は思わずかっとして叫んだ。
「だまれ! 人非人。貴様であろう。この学校に放火したのは。貴様がこの村の全ての不幸の元兇だぞ」
「私が放火したと仰有るのですか」
「人の不幸をたのしむために床板をはぐことを発案したのは貴様ではないか。貴様のほかに村の学校を燃す奴がいるか」
「これは面白い」
 彼は車から離れ、右手に金槌をぶらさげて余に近づいてきた。
「私はね。誠心誠意、村につくしたつもりです。私財をなげうち、己れをむなしゅうして村のために尽したのです。しかも私は自分の名誉をもとめたこともないのです。村長になろうとすらも考えませんでした。下積みのまま、ひそかに村につくすのが誇りでした。私がもとめた報酬は、ただささやかな満足。人知れぬ満足。しかるにあなたが私に与えた報酬は無実の放火犯人。面白い。私はあなただけはいくらか信用していたが、要するにあなたは面白い人だったね。俺を無実の放火犯人にするとは!」
 突然彼は躍りかかった。余は全身に滅多打ちの襲撃をうけ、最後に眉間にうけた一撃によって地上に倒れた。
 余の傷は幸いに軽微であったが、世評は余にかんばしくないようである。余は小学校の床板を張る才覚もつかないような無能な村長であったと云われている。あげくに発狂して助役を放火犯人とよび頭の鉢をわられるに至ったと云われている。全村あげて余の噂を笑い楽しむ如くである。
 余の無能、余の発狂、二つながらたぶん正しいのであろう。拙《つたな》かりし生涯をかえりみれば、有終の美をとどめたものと云うべきであろう。余は余の墓碑銘を次の如くに記しておいた。
「中庸に敗る」



底本:「坂口安吾全集 14」筑摩書房
   1999(平成11)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「群像 第八巻第六号」
   1953(昭和28)年6月1日発行
初出:「群像 第八巻第六号」
   1953(昭和28)年6月1日発行
入力:tatsuki
校正:狩野宏樹
2010年2月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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